平成時代、日本のゲーム業界は黄金時代を迎え、数々の不朽の名作が生まれました。
スーパーファミコン、プレイステーション、セガサターン、NINTENDO64 etc…
多彩なゲームコンソールが登場し、私たちに楽しさや挑戦を提供しました。
この記事では、そんな平成の懐かしいゲームに焦点を当て、レトロゲーム愛好者の皆様と共に平成レトロゲームを振り返ってみたいと思います。
懐かしいゲームの攻略情報
PS(プレステ)
- スーパーヒーロー作戦
GBA(ゲームボーイアドバンス)
- 遊戯王7 決闘都市伝説
- 遊戯王8 破滅の大邪神
平成のゲームはいつからでも、何度でも楽しめる
ソシャゲにも良さはあるが…
平成の終わりから令和にかけて、ソーシャルゲーム(ソシャゲ)が大流行しました。
もちろんソシャゲにも魅力はたっぷりとあるのですが、難点もあります。
早く始めた方が、また継続している方が、有利になりやすいんですよね。
ソシャゲは、ストーリー性よりも「キャラの育成」や「他人とのバトル」がメインとなることが多いようです。
したがって、延々と同じようなことを繰り返していき、終わりがないものが多くあります。
そこで、早く始めてスタートアップ特典のレアアイテムを入手していたり、沢山の時間を割いてレベルが高い人が強くなるわけです。
また、継続していれば、いわゆるガチャやログインボーナスなどで有利なアイテムを入手する可能性も高まります。
何より早く始める最大の利点は、以前のイベントなどをこなして傾向を熟知することで、次回のイベントの対策が高度になる点です。ソシャゲは攻略本や攻略サイトが少なく、経験がものを言うことが多々あります。
こうして乗り遅れた後発組は、先駆者たちとの差を縮められないまま上位へ行くことができず、課金するか諦めるかを強いられるわけです…
レトロゲームへの憧れ
一方平成レトロゲームはと言うと、後発組でも先に始めた人たちに追いつき、追い越すこともできるのです。
理由は簡単、ゲームに終わりがあるからです。
平成レトロゲームはストーリー性重視のゲームが多く、ストーリーをクリアすると基本的には終わりです。
先に始めた人も後発組も、クリアすれば終わります。いつかは差がない状態になるのです。
何なら、クリア後のやりこみ要素で後発組が追い越しちゃうことだって可能でした。
ソシャゲのように、後発組は以前のイベントを知らないということはありません。
クリアさえしていれば、先駆者たちと同じ土俵に立てるのです。が…
子供の頃はゲームが高くて買えない!
自分と友達で持っているハードが違う!
という事象が起こるわけですよ。
スマホと違って、ゲーム機本体は誰もが持っている物ではないので、違うハードを持つ友達とはゲームの話を共有できなかったわけですね。
あの友達が持っているゲーム、やってみたいな、うらやましいなぁ…
と憧れたことがある人もいるはず!
そして、私のように大人になって金銭的に余裕ができ、今更買って遊んでみた、なんて人だっているはず!
ソシャゲは積み上げ系のゲームです。一度やり始めたゲームを、最初からまた始めるなんてことしたら大変です。今まで積み上げたものがゼロになるだけでなく、周囲との差が開きます。
でも平成レトロゲームは、初めからやり直すことができるのです。
だって終わりがあるから。いつかまた、やり直す前と大差ない状態に戻せるのです。
そう、平成レトロゲームはいつからでも始められ、何度で遊べるのです。
あの時憧れていたゲームを、令和になって始めることも可能なのです!
平成レトロゲームとは?
ここまでさんざん、「平成レトロゲーム」と言ってきましたが、特に定義していませんでした。
一般的には、平成時代を代表するゲームタイトルやコンソールを指すようです。
平成レトロゲームは、今でも多くのファンに愛され続けています。
その魅力は、低画素ならではのピクセルアートの美しさ、シンプルながらやり込めるゲーム内容、そして一度聴いたら忘れられない音楽のメロディーなど様々です。
平成時代の代表的なゲームコンソール
据え置き型
自宅のテレビにつないでプレイするタイプのゲーム。
特徴的なのは、当時のテレビのアスペクト比が4:3のため、ゲーム画面も4:3で作られていること。
Youtubeなどでレトロゲーム実況をしている方は、現代に合わせて無理やり16:9にしていることが多いですが、あえて4:3のまま出力している配信者もいます。
(4:3を無理やり16:9にすることで、ゲーム動画の上下左右に黒色などの隙間があったり、ゲーム動画を中心ではなく端に寄せてテロップや絵などで隙間を埋めていたりします)
スーパーファミコン(スーファミ)
任天堂が1990年(平成2年)に、ファミリーコンピューター(ファミコン)の後継機種として発売しました。
当時のゲーム業界において革命的な進化をもたらし、多くの人々に愛されるクラシックなゲーム機となりました。
一度はやった!カセットフーフー
カセットが正常に起動しない時に、端子部にフーッ!と息を吹きかけると、不思議と起動しましたよね。
特に前代のファミコンは振動に弱く、少し揺れるだけで接触が悪くなったりしていました。
スーファミでは多少改善されているものの、やはり振動やカセット替えで起動しなくなることも多々。
端子部のほこりを飛ばし、息に含まれる水分が金属端子部に付着しして一時的に電気の伝導効率が上がり、カセットの差し直しで接触が良くなる、という理屈だったみたいです。
独特なコントローラー
スーパーファミコンのコントローラーは、ファミコンにもあった十字ボタン・Aボタン・Bボタンに加えて、新たにXボタン・Yボタン・Lボタン・Rボタンが追加されました。
これにより、多彩な操作が可能でした。
この左に十字キー、右に4つのボタン、側面にLRボタンというコントローラー形式は、今でも多くのゲームの原型になっています。
16bitの構成のCPU
8bitのCPUだった前代ファミコンに対し、スーパーファミコンは16ビットのCPUを搭載。
これにより遥かに高度なグラフィックとサウンドを扱えるようになり、アーケードゲーム並みの豪華なゲーム体験が自宅で可能となりました。
代表的なゲームタイトル
- スーパーマリオカート
- ゼルダの伝説 神々のトライフォース
- ストリートファイターII
- ドラゴンクエスト(V 天空の花嫁、VI 幻の大地)
- ファイナルファンタジー(V、VI)
- かまいたちの夜
プレイステーション(プレステ、PS)シリーズ
ソニー・コンピュータエンタテインメント(現在はソニー・インタラクティブエンタテインメント)が1994年に発売しました。
その後、平成の間にプレステ4まで登場して、令和になってプレステ5も発売されています。
初代プレステは、家庭用ゲーム業界に革命を巻き起こす、3Dグラフィックを実現した最初のハードです。
革新的な3D専用設計のゲーム機
当時はほとんどのゲームが2D描写である中で、3D専用として登場したハードは家庭用ゲーム業界の革新的存在でした。
3Dといってもいわゆるポリゴンで、ポリゴンやテクスチャにカクカクとした歪みが出ていました。
高度なサウンド能力
当時にしてはかなり高性能な音響機能を有していて、音楽ゲーム(音ゲー)の祖である「パラッパラッパー」が登場するきっかけにもなっています。
リズムに合わせてボタンを押すという単純なゲームですが、ゲームにきれいな音楽を使えるということ自体が斬新でした。
ドラゴンクエストシリーズをはじめ、元はゲーム音楽だったものが、ゲーム要素のない音楽CDなどになっていくことになっていきます。
嵩張らない、接触も良い、脅威のカセット「CD-ROM」
ファミコンのカセットは、厚みがあり嵩張るため収納がネック。
しかしプレステはCD-ROMを採用し、カセットの収納がコンパクトになりました。
また、CD-ROMはファミコンのように接触不良を起こすことがほぼ無く、カセットフーフー無しで毎回起動することも嬉しい!
一方で、当時のCD-ROM機は大容量であるがために、ローディングに非常に時間がかかるのが難点。
プレステ内でも工夫を凝らしていたようですが、それでもローディング時間は長い印象です。
また、CD-ROMが大容量とは言え、それでも不足するタイトルもありました。
その場合、CD-ROMを2枚組や3枚組にして、1枚目が終わったら2枚目にCDを入れ替えるという手法を取っていました。
どのデータを消すか…迷いに迷うメモリーカード
ゲームのセーブデータは、外部記憶形式で「メモリーカード」と呼んでいました。
セーブデータはブロックという単位で管理し、15ブロックが上限でした。
ゲームタイトルによって使用するブロック数が異なるため、新しいゲームを買うと1ブロックだけ足りない!のように不足してしまい、どのデータを消去するか頭を悩ませる子供たちが多くいました。
代表的なゲームタイトル
- バイオハザードシリーズ
- グランツーリスモ
- みんなのGOLF
- ポポロクロイス物語II(なんとディスク3枚組!)
サターン(セガ、日立、ビクター)
1994年にセガ・エンタープライゼスが発売したセガサターンが有名です。
しかし、セガサターンの本体製造に関わった日立製作所からはHiサターン、日本ビクターからはVサターン、という互換機が発売されています。
「2Dのサターン、3Dのプレステ」と言われ、主にアニメゲーやギャルゲーに使用されていました。
また、18歳未満禁止の「X指定」を設けることで、家庭用ゲームでは不可能と言われていた成人向けゲームにも挑戦しています。
セガサターンの方が優位…!?
先述の通りサターンは大きく3種類あります。
セガサターンは主に玩具店やゲーム屋に流通しているのに対し、Vサターンは主に家電量販店に流通。
子供は家電量販店よりも玩具店・ゲーム屋に行くので、セガサターンを目にする機会が多いためか、セガサターンを持っている子の方がちょっとカーストが高い風潮もあったようです。
サターンと言えばセガと思い浮かぶ人が多いのも、このせいかもしれません。
ちなみにHiサターンは、ゲーム機能の他にビデオCDとフォトCDの機能がついているため、セガ・Vサターンよりも高額だったようです。
移行し忘れ注意!2種類のセーブ方法
セーブデータはプレステのメモリーカードに当たる「パワーメモリー」の他に、ゲーム機本体にも保存することが可能でした。
しかし本体の容量は少なく、本体の電池が切れるとセーブデータも消えるリスクがありました。
本体のみにデータを保存できるソフトもあるのが難点。
ゲームを遊び終わると本体を操作してデータ管理画面に移動し、本体メモリからパワーメモリーにデータを移すようにしていました。逆に、ゲームを再開する時は本体メモリにデータを戻します。
ということで、本体からパワーメモリーにデータを移行し忘れたまま本体の電池が切れてしまうことが無いよう、データ移行と電池交換を気にしなければなりませんでした。
2Dながら、高速なローディング
プレステと同様に、カセットにはCD-ROMを採用しています。
一方で、ハード的には3Dも可ではありますが、2Dと両立するようにした結果、ややハード機能は劣る…かと思えば、メモリは容量や構成が豪華でした。
そのメモリを活かしてローディングが短い傾向がありました。
代表的なゲームタイトル
- バーチャファイター2(セガ初のミリオンセラー)
- スーパーリアル麻雀PV(脱衣麻雀)
- サクラ大戦
- シャイニングシリーズ
NINTENDO 64(64 – ロクヨン)
ゲーム業界に流行していた3Dに対応するべく、任天堂が1996年にスーパーファミコンの後継機種として発売しました。しかし、スーパーファミコンの後継機種とは思えぬほど見た目も性能も大きく進化しています。
ポリゴンじゃない!高い描画能力
3Dゲームでは先に出ていたプレステやサターンですが、3Dポリゴンとよばれる擬似的な3D表現手法を用いていました。
一方で、後発だった64は高い演算・描画能力を有していて、3次元をよりリアルに描画することができていました。
簡単に言えば、キャラの見た目がカクカクしておらず、丸みを帯びるフォルムが可能だったのです。
アナログ操作が可能!独特なコントローラー
プレステなどもアナログ操作が可能なコントローラーはありました。
しかし、64はアナログ操作用のスティック(3Dスティック)がコントローラーの中央にあり、アナログ操作しやすいように中央にも持ち手を採用。
3つ又の持ち手がユニークなコントローラーでした。
ここが不便…嵩張るカセット
当時はCD-ROMが主流になりつつあったカセットですが、64はROMカートリッジを採用。
厚みがあるので保存場所に幅がとる部分はやはり難点でした。
代表的なゲームタイトル
- ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ(スマブラの第1作目)
- バンジョーとカズーイの大冒険
- 実況パワフルプロ野球(シリーズ初のアナログスティック操作対応)
- マリオパーティシリーズ
その他
平成では他にも、ドリームキャストやXbox、ゲームキューブ、Wiiなどが発売されています。
携帯型
いつでもどこでもプレイできる、持ち運びタイプのゲーム。
自宅でゲームをやりこんで、友達の家や公園で友達と対戦!という遊び方が可能に。
テレビを使用しないため、親に隠れて長時間プレイしちゃうことも可能で、平成の子供たちは熱狂しました。
ゲームボーイ(GAME BOY、GB)
携帯型ゲームと言えばこれ!…と思う人は平成レトロ直撃世代でしょう。
任天堂から1989年(平成元年)に発売され、ここから平成ゲーム史が始まったと言っても過言ではありません。
持ち歩きできる革新的ゲーム
昭和の終わりに、ゲーム&ウオッチなど携帯型ゲームは発売されていました。
しかし本体ROMに直接ゲームプログラムが書き込まれていました。
ゲームボーイでは、別売りのROMカセットを差し換える手法を採用。これにより、どんなゲームでも本体1台があれば遊べるという点が大きな魅力でした。
さらに、意図的にモノクロにしている点も結果的に人気に火をつけることになります。
他社がカラー型携帯型ゲームを開発するも、どれも電池の持ちが悪い状態でした。
ゲームギアなどは、初期の頃は単3形アルカリ乾電池6本で3~4時間しか遊べない有様です。
一方で、モノクロにすることで消費電力を抑えたゲームボーイは、最高30時間連続プレイが可能でした。
のちにカラー化
1998年には、ついにカラー化した後継機種・ゲームボーイカラーが発売されます。
これにより、携帯型ゲームはますます進化していきます。
代表的なゲームタイトル
- ポケットモンスター(赤、緑、青、ピカチュウ)
- テトリス
- スーパーロボット大戦
- 星のカービィ
ゲームボーイアドバンス(GBA)
2001年に任天堂が発売した、ゲームボーイの後継機種。
画面が大きくなり、操作ボタンが画面を挟んで両サイドに配置されたフォルムが特徴です。
画面が大幅に成長!
ゲームボーイよりも画面が多くなり、色や性能も大幅に成長しました。
それにより、きめ細やかなドットの表現ができるようになり、各社がビジュアル面へのこだわりを強化しています。
ついに無線化!画期的な通信方法
ゲームボーイやゲームボーイアドバンスでは、通信ケーブルというものを使用して通信交換や通信対戦を行っていました。
しかし、ゲームボーイアドバンスには画期的な通信システムが!
それは…無線通信です!
令和の今じゃ当たり前の無線通信ですが、当時はPCでさえ無線対応していない機種も多かった時代でした。
ワイヤレスアダプタという別売り機器を使用すれば、通信ケーブルと同等の機能が線を繋がずにできるのです!
公称では対応範囲がたった3mでしたが、きちんと正面を向かい合わせていれば環境次第では数十mまで通信が可能でした。
代表的なゲームタイトル
- ファミコン時代の人気ソフトであるマザーシリーズなどのリメイク作品
- 黄金の太陽シリーズ
- 逆転裁判シリーズ
- ロックマンシリーズ
NINTENDO DS
任天堂が2004年に発売したゲーム機。
同時期にGBAを発売中でしたが、後継機種ではなく、GBAとゲームキューブに続く第三の柱として新規作成されたものでした。
しかし、GBAの互換性もあるDSは瞬く間に普及し、実質的なGBAの後継機種となっています。
2画面で常に情報表示!
DSの最も画期的且つ特徴的な部分が、画面が2つあることです。
今までは何か情報を見たい場合は、メニュー画面などにモード切替をして、ゲームを一時中断することが多くありました。
しかしDSでは、片方の画面に情報が常に表示され、もう一方でゲームを続けることが可能になりました。
また、2画面が縦に並ぶことで、本来横長であるゲーム画面に対して、2画面を連動させた縦長ムービーを流すなどの工夫も可能でした。
ただし縦長ムービーは、画面間にある物理的な隙間を考慮する・しないがソフトによって分かれていました。
隙間を考慮するムービーの場合、きちんと隙間を計算してデザインするため労力が要ります。
エミュレーターなどを使用したプレイではムービーに不自然な隙間ができてしまいます。
逆に、隙間を考慮しないムービーの場合はできた絵を単純に2分割するだけなので楽ですが、隙間があると少し違和感が残ります。
なお上記ムービーはドラクエモンスターズジョーカー2より。
当サイト管理人のYoutubeにて、ドラクエモンスターズジョーカーシリーズを実況していますので、こちらもぜひご覧ください。
タッチペンと音声認識により広がった操作性
下側の画面のみですが、タッチスクリーンが採用されました。
タッチペンを使用して操作することで、単純なボタン操作以外に、触る、こするといった操作が可能になりました。
また、DS本体にマイクが内蔵されていて、音声をゲームに反映させたり、喋った言葉の認識してボイスチャットが可能になりました。
操作性が広がったことで、ゲームのマンネリが打破されて、タッチや音声を取り入れるなど新しいゲーム要素が誕生しました。
その他
平成では他にも、プレイステーション ポータブル、プレイステーション Vitaなどが発売されています。
さらに平成29年にはNintendo Switchが登場し、令和でも活躍しています。
平成レトロゲームの魅力を再発見!
平成時代に生まれたゲームは、いつでも何度でも遊べるものばかりです。
そして何より、沢山の名作ソフトが発売されました。
ピクセルアートの美しさ、シンプルながら楽しめるプレイ性、そして感動的なストーリー、etc…
平成ゲームの愛好者や懐かしい思い出に浸りたい人々にとって、貴重な情報や楽しみが詰まったコンテンツになっていれば幸いです。
ここまで記事を読んでいただき、ありがとうございました。
レトロゲームの楽しみ方は無限大!!
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